デジタル放送の普及とともに、著作権保護の仕組みも本格導入される。録画行為そのものには不自由はないとされるが、しかしわれわれの心の中には、なぜだか釈然としないものが残る。どうやら“取りためる”という行為には、より根源的な、人間の本能と言ったらいいような部分があるようなのだ。

昨日書いたコンテンツ配信と私有の関係を、4月から行われるデジタル放送のコピープロテクト技術という視点からうまくまとめている。

コピープロテクトというのは何かイヤだ。特にテレビ放送はもともとタダで見られ、タダで好きなだけ録画ができるものだっただけにその不自由さは気になる。最初、興味のあるものを私有化したいという気持ち(収集本能?)かなと思ったけど、集めたあとより、探して手に入れるまでの方を楽しんでると思うから、やっぱり狩猟本能の方が正しいのかな。

昨日の論理と合わせると、人々はこんなデジタル放送技術にお金を払わないぞ。 オレも払いたくないぞ(アメリカに住んでるから関係ないけど…)。 どうするデジタル放送。 7年後に無理矢理アナログ放送を打ち切って、移行させるつもりか?